2019年9月18日水曜日

クランボルツの計画的偶発性について

いきなり、何を書いているんだと思われるようなタイトル。
曲がり間違って、これを探してきてしまった方がいらしたら、大変申し訳なく思います。先に謝ります。ごめんなさい。

先日、とある記事をみていたら、↑の説明がなされていて、あ、言われてみるとそうかもしれないけど、そういうこともあるんだなと感心したので、備忘録として書いてみようと思ったという次第です。

「計画的偶発性」とは、1999年に、ジョン・D・クランボルツ教授らが提案したキャリア論に関する考え方だそう。

個人のキャリアの8割は、予想しない偶発的なことによって決定される。その偶然を計画的に設計し、自分のキャリアをよいものにしていこうという考え方だそうです。
(Wikipediaによると)

つまり、あまりに未来ばかりに気を取られると現実が見えなくなってしまうという考え方でもあるようですが、確かに、そういう面はあると思います。

小さい時から何になるのと尋ねられ、まだ、心の中でOKが出ていないのに、○○と言葉を発してしまうと、自分なりに責任を取ろうと行動してしまうところがある気がします。
もちろん、しょっちゅう変わることもありだし、言ったことすら覚えていないケースも多々あると思うのですが、いろいろ考えていたところで、どうにもならないこともあるわけで。
いつも、遠くに目をやってばかりいても、目の前のこと、今を大事にできない気がするので(受験とかもね)、それはなるほどと強く思うところもあるのです。

ただ、なんでも楽な方に流されがちになるところもあるから、未来も今において決めることはしつつも、今と未来と、バランスをとれるほうがよしと思うところと、何かにむかって歩いていたときも、それにこだわりすぎず、今の呼びかけにも応じられる余裕もあってよいのかもしれないと思うところです。

私は立派な中年なので、キャリア形成という、甘美な響きよりも、目先の問題をこなしていくしかない部分はありますが・・・
それでも、その中で、どうやってビジネスを展開させていけばよいのか、考え始めると、頭がパンクしそうになることがあります(私は自営業者でもあります)

まあ、理詰めで考えてもらちがあかないときこそ、いつになるかははっきりしないけれど、そのタイミングがきたときは、迷わず乗るぞと決めること。
そして、いつでも乗れるよう、能力を向上させるよう、努めていくことは大切かもしれません。

もちろん、ぼーっと待っているだけではやってこないでしょうから、ある程度は、思うがまま、フットワークは軽くあったほうがよいと思いますが(^^;

何かについて、いつも悩んでいるつもりになっているのだけど、実際は、そこに逃げ込んでいるだけであったりもするかもしれません。

今に真摯に目を向けて、予想しない偶発的なことを楽しんでいける、素敵な大人であり、人生の旅人でありたいような気がする、今日この頃です。

2019年9月16日月曜日

続けていること



最近、文字を書かなくなったので、言葉が変わってきたことを感じています。簡単に、話し言葉に近い言葉ばかりを使うようになったり、死んだ言葉というか、新鮮な言葉を使わず、慣用句ばかりで済ませてみたり・・
うまく言えませんが、これではいけないと思う危機感すら感じています(汗)

ブログを書いたからといって、すぐ変化がでるわけではないでしょうが、仕事でも、私用でもなく、言葉をつづるということは、何か頭の中の何かを取り出すような作業に近いところがあって、自分でびっくりするような言葉を選んでいることもあって何かしら新鮮な作業な気がします。鮮度がいいかといわれると、すこし、鈍い気はしますが・・なんでも、すこしずつ、徐々にということも大事ではないかと最近思うところです。続けるという気合はなくても、やめないくらいでも、いいかなと。

ずっと続けていることは案外なくて、あきっぽいところもあるけれど、三日空けないでやってみるとか、一週間に一度はやるとか、ゆるいくらいの決め事は続いているほうだと思います。

最近でいえば、運動とか。

運動といえば、何か、誰かとやったり、どこかにいったりということを想定するとハードルが高すぎたため、散歩にいったり、動画でエクササイズをみたりという、ゆるゆるの運動をはじめました。最初は、筋肉痛になったり、いろいろありましたが、何より気持ちがすっきりするというか、ストレスに感じてたことをいったん、忘れてしまう(少なくとも、ストレスの度合いが薄まる感覚)ので、それが心地よくて、いままで続いてるところです。
2年近く、続いているのかな。

ヨガや、ストレッチも悪くなかったのですが(それらは、ずいぶん長くやってきた、今もやっていなくもない)なんというか、筋肉は一番たよりになるおしゃれだと思っていて、さっと体がうごく、うごくことが心地よいということは、ただ、いいものを身に着けるを上回るおしゃれではないかと思うのです。

なんだか、とりとめがなさすぎる内容になってしまいましたが・・・

一言でいえば、運動いいよ、ってこと(笑)

なにより、心が気持ちよくなる。その場では、そんなに思わなくても、あれ、運動した日は気持ちがよいなと気づいたので、やっぱりそういうことではないかと思います^^

とはいえ、いつまで続けられるかは、私自身もわかりませんが、ゆるゆるでも、やめずにいること。そのくらいの、気合で、やっていけたらよいなとおもいます。

2019年9月14日土曜日

ひさしぶりに・・・


かなりぶりに、ふと書いてみようと思って、ブログをあけてみました。

1年くらいたつと、それなりに何かニュースというか、イベントというか、あるものだと思いますが、
数年たつと、正確に時系列に並べて思い出せなくなっている始末。時の流れを感じるところです。

数年前くらいに、いろいろ意に沿わないことが多発する気がして、あれこれ付け焼刃的にもがいてみたものですが、結果として、何かこれをしたからよくなったことは、テクニック的なところではなく、もう開き直ったほうが効果的であったという気がします。

昔は、開き直るとか、他力本願みたいなことを聞くと、心のどこかで、自分のことは自分でやらねばと力が入っていたのかもしれませんが、自分の力でやることはやってもなお、どうにもならないこともあるわけで、そのときは、もうすんなり受け入れた方がいいのではないかと思うようになりました。
何かに対し、無抵抗でいることを意味するのではなく、ただ、事実を観察するというニュアンスに近いかもしれません。

そんなこんなで数年が経過したところ、何より、私自身がずいぶん楽になりました。何が変わったということであれば、周囲ではなく、おそらく私が変わったものだと思っています。

最近、いろいろな人がいて、いろいろなことを言われて、いろいろなことを言ってしまって、ま、そういうことの繰り返しだなと思うのですが、いろんな人がいていいし、自分と同じでなくても全然いいし、むしろ、そのほうが自然であって、その中で共感できる人とあえたり、すごくうれしいことがあったり、そういう宝物探しの毎日が、いとおしく思うくらいです。

もちろん、めちゃめちゃむっとすることもあります。そういうことは、なかなかゼロにはならないものかもしれません。

でも、むっとするくらい、心が動くことのほうに、目をやると、私の中で固執している考えに気づいたり、どこかで人を変えようと思っていたり、まあ、よからぬことを思っていることに気づかされるわけで・・・
必要があって、むっとするチャンスを、神様が与えてくださっているのだと、粛々と受け止めるしかないのかもしれないと思う、今日この頃です。

なんだか、まとまりがつかないだらけの投稿になりましたが・・・

体の中、心の中で、うごめいている、何かを取り出すような、そんな感じでの投稿になるかもしれませんが、ぼちぼち再開していきたいなと思っています。

2014年3月11日火曜日

年度末

 今月中には、出産となる予定ですが、今のところ、まだきてません。

 先月末まで、仕事をしていたので、いろいろバタバタとしていたり、上の子もいるので、保育参観等行事に終われ、落ち着かない間に、気づいたらもう3月になっていたという感じがします(今年は、いろんなことが重なり、おひなさまも、かなりいいかげんになりました。ごめんなさいっ)

 1人目のときより、2人目のほうが早いとか、太らないとか、初産婦と経産婦は違うとか、いろんなことを耳にしますが、違うといえばやっぱり違うなと思うことも多いです。ただ、うちの場合、年の差もあるから余計にそう思うのかもしれませんが、やはり、一回一回そういうことは水物というか、ある意味「新鮮」なものであるのかなと思ったりしています。
(2人目とかじゃなく、3人目、4人目の方になると、また全く違う感覚とも。うーむぅ、未知の世界・・・)

 1人目のときより、あきらかに「ストレスフル」というか、負荷がかかることが多く、しかも予想してないところから、ポンとやってくることに決断を求められることが多いので、「母親のストレスが中の人に悪影響を与える」とかニュース記事をみたりすると、がっくりくるというか、悪いなあっておもったりすることもあるけど・・・

 勝手に「そういう事情までわかってて、来てくれたとすれば、ありがたいなあ(といって、甘えてばかりではいかんでしょうが)」と思ってみたりすることもあったりします。何ていいかげんな、母親なんだろうと、自分でもあきれるほどですが・・・まあ、眠れないほどストレスフルな状況が続くより甘えられることがあるのなら、いくらか許してもらえればなどともおもっています。

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 Kちゃんは、ママが取られてしまう危機感はやはりあるのだなと話をしてて感じることも多いですが(これが7歳でもなく、3歳でもなく、5歳なのが微妙なのかなとおもうこともよくあります。分かっているけど、理解と感覚の間で揺れ動いているのかなとおもうことも多いので・・・)

 おなかに話しかける言葉であったり、思い出したように「ままだいすき。げんきなあかちゃんをうんでね」とか、お手紙もどきを書いて手渡してくれたりすると、やっぱりじーんと感動すること多いです。おねえちゃんになりたい気分と、なりたくない気分と、いろいろあるのだと思うのですが・・

 これまで、Kちゃんが周囲の人から受けてきた愛情が、こういう形で「誰かにしてあげる」というふうな行動に結びついているような気がして、また感慨深いところでもあります。そういういろんなことを感じ取ったり、考えさせられたり、そういうことも、妊娠することの大きな副産物なのかななんてことも考える今日この頃です。

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 出産前にと、友人が入れ替わり会いに来てくれたり、連絡をくれたりするたび、「ああ、ありがたいなあ」「幸せだなあ」っておもうのですが、もうあと予定日まで日が少なくなると、びっしりした予定は立てられなくなってきたし、家の中をあちこち掃除してても、体が重くなってきたし、かといってじーっとしすぎててもまずいし、でも、動きすぎてもおなかががっしがしに張るし・・・

 中途半端な感じもありますが・・・

 これが実際生まれてしまうと、最後の休息だったのだなと、懐かしく(?)思い出すことでしょうから・・(笑)
 なるべく、気になることは少しずつ、片付けつつ、のんびりやれたらいいかなとおもいます。

 できれば、これ以上、眠れないようなストレスにさいなまれることはよけて通りたいものですが・・・ 
 世間様は、年度末。

 行事も、イベントも、気にしないといけないことも多いので・・
(しかも、妊娠ボケで結構うっかりしてたりするしーー;)
 メモだけは、忘れないようしないとなあ、なんてことも思う、近日でした。

2014年1月24日金曜日

いろいろ壊れる時期みたい・・・

 前回書いたときと比べると、いくらか精神的に穏やかに過ごせてる気はします。

 心配ごとの多くは、実際に起こらないというけれど、最悪の事態を想定し覚悟を決めたつもりでも、その覚悟は、いろいろぶれたり、ゆさぶられたりするものだけど・・・(ここらへん、人間の「器」の問題ですね。へへへ;;)

 実際、今のところ、最悪の事態は潜り抜け、何とか先は見えないながらも、のろのろと進んでいっている、そんな感覚です。

 おそらく、出産まであと2ヶ月くらいになりました。
 先日、病院で「いつ生まれるか、明確にわかれば、ノーベル賞ものだ」と医師が話していましたが、だいたい予定日くらいで生まれてくれると、いろいろ都合もいい面もあるので、そう考えると、あとそれくらいかなと、アバウトに思ったりしています。

 もちろん、早くなるかもしれませんし(でも、あんまり遅くなる気がしないのは、なぜだろう・・)
 あれもこれも、近づいてくると、いろいろ「やらねば」と思うことが多く、いつも落ち着かない気にもさせられたりしています。

 結局、お世話にならないつもりであった、実家にも、お世話をかけることになりそうですし(上の子のこともあるので)、私の荷物だけでなく、Kちゃんの荷物も、いつの時点で移動させるかどうかとか、春休みはどうするのとか、何だか余裕なく、いろいろ思うのですが・・・

 最終的には、夫頼みにならざるえないので、十分とっているつもりでもおそらく不足しているコミュニケーションを密にはかる、それくらいしか、万能薬はないかもしれません。頼んだよ、夫。私なりに、メモをかいたり(備忘録みたいなやつですね)、内容を説明したりしてるつもりですが・・
人間、差し迫らないないと「ピン」とは、こないもの。うまく切りぬけてくれることを、今から願うばかりです。

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 で、ようやくタイトル。

 昨年「我が家の家電が、次々に壊れるの」と、お友達から聞いていたのですが・・・

 我が家もその時期(?)に、突入したのしたのか、ここ半年くらいで、予想外の出費や手間に追われています。
お金もだけど、慣れ親しんでたものが、突然動かなくなると「@@@」って、驚くし、面倒だと思うし・・・
何で、今の時期なんだろう?どうして、みんなまとめて壊れるのだろう?と、本音ではそう思わなくもないですが・・

 原因もさることながら、そういう「恩恵」の上に、生活がなりたっているのだと、壊れて実感するばかりですし(この「学び」は時々必要でしょうが)、そういうもんだと、一つずつ、付き合っていくしかないのかなと思ってます。

 レンジも、テレビのリモコンも、結局買いなおしたし・・(ないとやっぱり困るものだったし。でも、オーブンレンジだったので、オーブンは使えるのに廃棄するのは、やっぱり何だか心が痛みました。)夫の車のホイールにはじまり、ドアノブなどなど、車のトラブルが続いて、これまた当然自分では治せないので、修理やさんに予約し、もって行くという作業が、なかなか進まず(部品も取り寄せですしね)、修理するって結構ハードル高いんだと、思ったり・・まあ、いろいろありました。

 で、昨日は、出かける前にお茶を飲んだときは普通だったのに、帰ってきたら、電気ポットが動かなくなってました・・。
寒いのに、うーん、困ったと、ガスでお湯を沸かすものの・・・今後も、いろいろいるわけで、急いで次を用意しなくてはなりませんし;;

 もう、そろそろ、壊れるものお休みにしてほしいなあ、なんて思ってますーー;

 そうでなくても、用意するものに追われてるのに、なんて私の都合はどうでもいいかもしれませんが(苦笑)

 まあ、いいように考えるなら、出産直後よりまだよかったんだと、思うことにしておこうかな。
 やや、無理矢理ですけどね。何度も、ちょっと無理してでも、明るく考えることにしておきます。

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 結局、久しぶりに書いたのに、愚痴というか、たわいもなさ過ぎる話ばかり書いてしまいましたが・・

 赤ちゃんは、じきに9ヶ月に入ります。
 
 元気です。私も、血液も濃く、薬も出されず、元気いっぱいです。
多少、ストレスにさらされることが続いても、こんなに元気な母体でいられるというのも、いまさらながら、しっかりとした、子ども時代をすごせていたからかなと、両親に感謝するとともに・・・
 
 やっぱり、一度経験していることなので、頭が少しはよくなったのか、つわりも、その後も、上手に過ごせてる部分は大きいと思います。ありがたや。ほんと、上の子のおかげなんだと、そういう意味でも、Kちゃんに改めて感謝してるところです。

 あとは、出産が、するっといけばいいんでしょうが・・・そればかりはね(笑)

 まだ、少しあるので、ぼちぼち体制を整えつつ、準備にかかれればと思います。

2013年11月11日月曜日

それぞれのテーマ

ここ数年、自分も含め、転換期にいるのかなと思うことがある。

具体的に、誰が見ても「変わった(成長した)」ってこともあるけど、
自分のことではなくても、家族や親友に起こったイベントは、少なからず
自分にも影響があったりで、予想していたことより、予想してないことが
多くなった気がする。

これまでも、予想通りに事が運んでいたかというと、そうでもないけど・・・
予期しないことが、だんだん年齢を減るごとに、そのぶれ幅が大きくなるというか
年を重ねるということは、そういうことなのかなと思うところでもある。

友人にせよ、知人にせよ、私自身にせよ・・・・
その人にしてみれば、今のその人には最適な、学びの時間だと思うしかないけど・・
いいことばかりではないわけで、私自身も、大きく考え方やとらえ方認知方法に
ついて、考え直す時期にきてるのかなと思ったりしています。

Kちゃんの時とは、いろいろ事情が変わり、次回の出産と産後は、どうやら
夫婦二人で乗り切る覚悟が必要となりそうです。

実際、夫婦二人で乗り切ってる人もたくさんいます。
前回が、あまりに恵まれた境遇だったことに、感謝するより、不満をためていた
罰が下ったのかもしれませんが、あまりの落差に正直、今から緊張しています。

その理由というのは、今ここで書くことはできませんが・・・

何でも、あって当たり前ではなく、失ったり、失おうとして初めて気づくというのは
(分かっているつもりでも、心の奥深くでは、起こってみないと真の理解はできてないというか)
なかなか、悩ましい問題ではありますが・・・

はじめてではなく、第2子ですもの。
何が必要で、何をしなくても乗り越えられるか、いくらかは分かっているつもりですので
今からやれることを、一つ一つやっていくしかないかなと思っています。

大切なことに優先順位をつけていき、先のことばかり考えすぎず(先回りしすぎず)
日々を丁寧に生きていき、そして、計画性を持って、落ち着いて行動するというのが、
私の今の学びあるテーマなのかなと思っています。

第2子を出産するのも、お気楽極楽にいくもんだと思っていたのですが・・・^^;

私にふりかかることは、すべて乗り越えられることであると信じて。
いいほうに考えよう。

真摯に学び続けていくと、必ず光は見えるから。
と、思うことにしようと思います。


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↓は、ハスの花(夏の写真ですが)


ハスの花は、ほんときれいでした(ずいぶん前の話ですが)

で・・・・・・・・

第2子の名前を、いろいろ検討しているのですが・・・

2番目って、ほんと難しいのですね。

希望は、花が咲くだけでなく、実をつける名前がいいと思っているものの、難航中・・。


第1子のときも、結局、用意していた名前ではなく、顔見て、導かれるように、今ついている名前に
決まっていきましたけど(その工程は、今思い返しても、とても不思議な感覚・経験でしたが・・)

それにしても、こんなに候補すら決まらないことになろうかとは、ややびっくりです。

というのも、すでにいる、Kちゃん友達など、身近な人の名前はつけれないし・・
(そう考えると、ここ5年で、知ってる世界がぐーんと広がったってことなんでしょうね)
何となく、上の子どもとの「バランス」を考えてみると、なかなかいいバランスが浮かばないし

こんなことを考えられるなんて、幸せで贅沢な悩みだと思いつつ・・・

出産までに、いや、出産後14日までに、何とかしっくりと「これっ」って名前に決まりますよう
それだけを、今からしかと願っております(笑)

まだ、時間はうーんとあるしね。
これも、のんびりやろうっと♪

2013年11月5日火曜日

11月に入りましたね

 風疹騒ぎはあったものの、風邪も引かず、本日で、6ヵ月に入りました。

 主治医からも「絶対安心とはいえませんが、順調にここまできてるし・・」みたいに
言葉を選びつつも「耳が形勢されるといわれている、6ヵ月に到達できてよかった」
という話をされ、正直なところ、少し、ほっとしている心境です。

 マタニティー期にも、あれこれやろうと、資格試験にもチャレンジしましたが、
直前に、いろんな事件が続発。勉強時間の確保ができず、受験した感覚からみると
まあ、厳しいかなあ、ああ、受験料よ、さようならあと、がっくりもきています。

(だいたい、試験の日程は前々から分かっていたので、主婦で、妊婦の私が
直前でつめこもうという勉強計画を立てていたこと自体が敗因ですね。ハイ;;)

 とはいえ、終わったことは、いまさら悔いても仕方ないわけで・・
(開き直りだけは早い)

 あとは、新入りさんを迎える準備やら、もろもろに取り掛からなくてはと思ってます。

 我が家というより、周囲がいろいろあわただしい状況が続いているので、これまた
自分の予定より、周囲の予定ばかりを気にして動く必要があるのが、もどかしいというか
仕方ないというか、そういう面もありますが・・・

 出来る範囲で、少しずつやればいいのだと、思うことにしようかなと思ってます。

 それでも、バリバリっと仕事してる方とかに比べると、すごく時間はあるわけで・・
こま切れとはいえ、結構時間も大切に使うなら、いろいろできるのだと、そんなふうにも
思ったりしています。体調管理、時間管理、そして、おなまけの時間・・・

 時間とうまく付き合うことが、今は、一番大切なことなのかなと思っています。

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 娘も5歳になりました。

 昨年までは、お友達が「おめでとう」って言ってくれたというだけでしたが
(言ってもらえるだけで、それはすごくありがたいし、本人も嬉しそうでしたが)
今年は、お手紙やクッキー、手作りアクセサリーみたいなプレゼントまでいただき、
そりゃ、ものすごい喜んでおりました。親もびっくり。親からのプレゼントよりも、
サプライズつきのお友達からのプレゼントは、何倍も嬉しかったようです。

 私たちも、成長を感じた、ヒトコマでありました。

2013年10月15日火曜日

あちこちに書いてます・・・・

こどものことは、さてどこに書くか、まだ決めてないくせに・・・

こういうことは、のかるてより、こっちに書こうかなと書き始めました。

この整理のなさ・・・。我ながら、あきれるくらいです。とほほ。

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妊娠の経過自体は、非常に順調です。

娘の出産以降、時間がたっているし、年齢も重ねているし、不安材料もありましたが、
思ったよりスムーズにここまでこれたことに、家族や周囲の協力に改めて感謝ですが
気になることがわかり、やや困惑しています。

というのも、今、大流行の風疹の話。

九州では、あまりはやっているという話は聞きませんが、なんせ薬は飲めませんし、
そもそも疲れ易く、感染症にかかりやすい妊婦のこと、完全にスルーとかいかない
のかな程度には思ってました。

ただ、小さいころにワクチン打ってたし、中学生のときも念のために打ったし
(母からは、小さい時に打ったので、打たなくていいといわれたのに、それでも打った)
第一子のときの数値も悪くなかったし、どこか「自分には関係のないことかな」という
お気楽さはありました。

ですが、出た数値結果は、驚くほどの低値でした。
ほぼ、感染してないひとと同値なくらい。

先生いわく、ワクチン接種の場合、こういうことは起こりえます。
ただ、ここまで順調に来ているので、特に、胎児への影響が出易い時期までは人ごみを避ける
など用心してくださいとのことでしたが・・・

胎児への影響については、調べてみれば調べるほど、いろんな意見があり・・・
調べたから余計にかもしれませんが、やっぱり、怖くなってきた部分もあります。

感染症である以上、風邪もそうですが、うがい手洗い、マスク着用、日々の食事やコンディションの
維持等を行えば、必ずしも感染し、胎児への影響があるというわけではないようですが・・
(しかも、妊娠経過が進むにつれ、影響も少なくなってくるらしい)

必要以上にびくびくしないと決めなくてはと思うものの、娘の行事ごとへのお付き合いや自分の仕事等、
前回の妊娠と比べ外出する機会がかなり増えているのも事実で・・・

上手に「距離」を考えながら、自分の行動について取捨選択しなくてはならないのかなと思ってます。

家にじーっとしておくのは、あまり得意ではなく・・・・
かといって、がんがん動く回るほどの体力も気力もなく・・・
出産までこんな気分ですごすなんてことも、まったく想像したくもなく・・・

まずは、ここまでは特に気をつけてくださいね、という段階にあわせて、そして落ち着いて、
自分とおなかの娘を信じて、出来る限りの対策をとらねばと思ってます。

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血液って、ほんといろいろわかるんだなあって、こういう話になるといつも思うのですが
前回も今回も、病院は違うのですが、双方の先生が感動して言ってくれたこと・・・

それは、血液が濃いこと!(笑)

つまり、貧血とは一番ほど遠いところにいるくらい、健康状態がいいらしく、今回も
「このままの食事を続けていけば、出産も楽ですよ」といってもらったくらい。

いやあ、それはちょっと(?)なだめになりました。

聞いた話だと、血の状態をよくするのに、3ヵ月とか、有る程度時間がかかるそうなので
今出た血液検査の結果というのは、妊娠直前とか、初期のころの結果が出たということに
なりますね。なので、今も、必ずしもいい状態が維持できているかは分からないかもしれませんが・・

風疹のこととかも、あんまり悩んでもいいことないので・・・

引きこもり生活をなるべく楽しむこと、外出を上手に行うことをテーマに生活を
組み立ててみようかなと思っています。

2013年6月3日月曜日

6月になりました。

最近、というより、ここ一年くらい、あまり写真を撮っていないことに自分でもびっくりする。
何となく、携帯で撮ったものはあるけど、あんまり大事にしていない気がする(簡単に撮れる分
ありがたみを感じていないのか、大切に保管したりすることに、熱心でない気がします・・・)

ここ数ヶ月、思い出したように、時間をみつけては、家の中を片付けているのですが・・・
どうしてこんなものがこんなところにあるんだろうというものもあるし、気づいたら、その場所だけ
避けるように片付けていることもあるし、「いつかしよう」と思って、見ないふりしていたものを
さっさと片付けるには、やや勇気やら、元気やらいるもんだと、苦笑いしたりしています。

昨年の今頃は、Kちゃんとキキが、急接近していた時期で、あたふた、楽しいハプニングがたくさん
あったのですが、その場面場面を写真にとることもほとんどなく、日常の風景としては、私の頭に
しっかり記憶されているのだけど、Kちゃんは子どもなので、一年がたつと、そのときの記憶が
大人の残り方とはまったく違ってきてるので(感覚は残っているようですが・・)
ああ、ちゃんと写真や動画をとっておけばよかったと、いまさらながら思っているところです。

写真は、昨年の今頃(6月中旬ごろ)撮ったもの。

いろいろ、もの思う6月、梅雨の晴れ間の本日です。

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めずらしく晴れたので、昨日不在にしてた分、家の中を、えいやと片付けたり家事をすませて
いるのだけど、それでも、まだまだ私なんて、時間がたくさんあって(最高の贅沢と思います)
したいことができているのって、ほんと恵まれているのだと、改めて思うのだけど・・

昨日、話した複数の人たちは、毎日、スキルアップにいそしみ、目指す地点までストイックに過ごし
でも、笑顔や気配りを忘れず、すごいなと、思いました。家庭状況など、いろんな環境や条件も
個々に違うとはいえ、その中で、目指すものがあるという強さや厳しさを知ると・・・

いろいろ感じるものは多いです。

家庭を理由にしているつもりもなく、娘を理由にしているつもりはもっとないけれど・・・
(仮に、上記がなくても、それを積極的に今時点で選んでいるとは思えないけれど)

ある時期には、スパークかけるというか、がつがつもくもくといそしむ時期がなければ
ぴょんと飛び上がることはできないんだなと、そんなことも感じたりしました。

それが、今なのか、もう、私には来ないのか、あとからくるのか・・・
本人にもぜんぜん分からないけど・・・

雇ってもらっているという働き方ではなく、自分のスキルを提供し仕事を得るというスタイルへと
大きく変貌を遂げようとしている中での、働き方、スキルアップの仕方などなど・・
いまさらながら、そうかそうかと、思うところです。

ただ、いまひとつ、まだ、外野席でみてる感が抜けなくて・・・
対岸の火だなんて、思ってるわけでもないんだけど、なんというか、どこにむけて
走り出していいのか、まだ、ピンときていないかもしれません。

ひとまず、あっちに向かって走ろう!と決めて、走りはじめた同士をみると、まず心から応援し
尊敬し、感服するのです。その感動が、また、いろんなものを生み出すのだろうな。すごいな。

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さてさて、今日もまとまらない感じになりましたね(笑)

今週は、おでかけもありで、明日以降バタバタしそうです。
でも、こうやって、ぼけーっとする時間があるって、本当にありがたいことです。
一番贅沢な時間だものね。

また、ぼちぼち書こうと思っています。

2013年5月31日金曜日

何となく落ち着かないのかな

まだ、ブログを書くという、ウォーミングアップができてないせいか、写真貼って、
きりりっと書くというところには、まったく行き着いておりません
(そもそも、最初から、行き着いてたこともなかったのですが・・・)

今年は、昨年に比べ、移動距離が長いというのか・・・
それまでの数年が、あまりに動いてなかっただけなのかもしれませんが、今年は、よく動いてます。
もっと、動いてる人、仕事でいつも移動している人、外国へ行き来してる人と比べたら、移動距離はほんと短いものだと思いますけど^^;
ただ、特に娘が生まれてからは、どこへいくにも連れて行くということもなかったし、
行く回数も、場所も限定されている間に、それが「普通」になっていたので
やや移動するだけ、なのに、大きく感じてる部分はあるかもしれません。

夫も、気づいたら、あちこちへ行ってることが増え、何となくそわそわしたまま家の中すごしていたり
私も、毎週のようにどこかにでかけていくことがあったりで、娘もどこか落ち着きません。

家では、何となくだるーい感じですごしてることもあるので、心配してたのですが・・
実家や幼稚園では、ふつうに(元気いっぱいに)すごしてるようなので、娘に聞いてみたら
「ママ、ちゃんと帰ってくるんだよね?」って言われました。
「うん、帰ってくるよ。すぐ、帰ってくるから、だいじょうぶだよ。」
と、しっかり答えました。

それから、どのくらい、さっさと帰ってくるのか説明をしました。
具体的に、分かりやすく伝えてるつもりでも、ひとつひとつ丁寧に
相手に伝わるように話す。こども相手に話をすると、いつも話すことと
伝わることと同じではないんだな、とも、いつも反省させられます。

ただ、お留守番等、もう、何度か繰り返してるので慣れたかなと思っていても・・
そういうものでもないんだなあとも、毎度そう思います(苦笑)

毎回、「ちゃんと、帰ってくるの?」って聞かれるので、やはり、何となく不安なのかと、
娘をぎゅぎゅっと抱きしめたくなると同時に、私、もしかして信頼されてない?などとも、
思ったりするのですが^^;;
そんなふうに、言ってもらえている間が、華かもしれませんね~
「ママがいないと、怒られなくてほっとする」とか、言われかねませんしね(笑)

でも、大人もそうですが「これが毎日の生活なんだ」という毎日のリズムに、
有る程度幅は持たせているつもりでも、子どもはほんと敏感で、その幅が
大人よりは小さいのは、いたしかたがない訳で。

できる限り、その幅が大きくなり過ぎないように、したいものだと思ったりしています。

まあ、自分から手を上げて「行きたいです」とは言ってないのですが・・・
そういう、意味で、当たり年なのかもしれませんね(^^;

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先日、インコちゃんを見に行きました。
やっぱり、かわいかったです。胸がきゅん(死語)って、きました。

人同士でも、照れくささもあるかもしれませんが、なかなか目を見合わせてじーっと話し込んだり
見つめあったりしない面もありますが、相手が赤ちゃん(インコ)でも、こっちをじーっとみてくれて
いたりすると、ほんと、心のどこかとそのインコちゃんと、つながったと思いたいくらい、きゅん♪と
来る時があります。

お迎えのご縁も真剣に考えているのですが・・・

スケジュール的に、いまひとつ余裕がなく、このまま梅雨に突入し、暑い九州の夏へと進むことを
思うと、なかなかタイミングがあわないものだとも思っています。

もうすぐ、キキの誕生日、それから7月には命日がやってきます。

キキがいなくなってからの1年は、ほんといろんなことがありました。
テテのことも、ルチのことも、いろんな角度から思うこともありました。

もし、とか、れば、とか、そういうのは何もないんだけど・・・

ときどき、やっぱり、そう思うことも、いまでもあります。

ヒナっぴも、やっぱりセキセイやコザクラに目がいくのは、それもあるかもしれませんが
オカメちゃんも、かわいかったです。オカメちゃんは、これまでご縁がなかったので、
誰かと比べることがない、オカメちゃんに来てもらうことも考えているのですが・・

せまーい我が家のマンションでは、肩身がせまかろうと思うと・・・
ウエルカム、とは、いいきれません。

そもそも、頭いっぱいに考えちゃうと、ご縁を見逃してくれるかもしれないので、
もっとフラットに、心で、ご縁を感じられればいいのかな、とも思っています。

いつか、その日が来てくれるといいなと思いつつ・・・

やっぱり、まとまりがない感じになりましたが・・・
また、ぼちぼち書いてみようと思います。