2012年7月21日土曜日

ぴしゅぴしゅのナゾ

ルチは、ぴしゅぴしゅと、鳴き声というか、空気で話すような話し方をすることがあって、晩年は、どちらかというと、通常の「ぎゃっぴ」「ぴいー」って声が減り(出ても、音量が少なくなっていた気がしてました)・・・

話をしたくてたまらない(らしい)ときは、そのぴしゅぴしゅという息で話すような声で、熱心に私に説教をしてくれていたのですが、実は、キキは5歳の誕生日を迎えたあたりから、急にそんな鳴きかたをするようになりました(たくさんではないですが、日に一、二度くらい)

あくまで比較がルチとしかできないのですが、ルチも確か5歳を越えたあたりから、鳴きかたも、エグエグも、行動も変わったなという記憶があったので(4歳までの成長期を経て、中年の域に入ったからなのかと思ってました)・・

キキも、もう5歳になったし、そういう変化があったのかもしれないというふうには思ってました。ルチが、ぴしゅぴしゅという話し方を多用するようになってから、結果10年近くも元気でしたし、だから何かあったのだと今更、決め付ける要素もないのですが・・・

キキは、小さい時、呼吸器系が弱く、だいぶ強い薬を服用してた時期もあったので(それについては、いずれ書けたらいいなと思ってますが)・・・
ルチは、4歳くらいから毛引きと付き合いながらの生活だったので、都合がいい話し方として、そのぴしゅぴしゅを選んでいたのかどうかは、わからない話ですが・・・

私はおめでたいというか、キキも、そういう「成長をしたのだろう」と勝手に思ってたけど、実は、梅雨も長引き、エグエグも長引き(梅雨時期と、秋の長雨の時期は、とても発情状態が続き、おそらく体内のバランスを崩していたと思うので)・・・

体調を崩したから、それでも話したいことがあったから、それで、私に話しかけてたのかなと、ふとそんなことをおもったりしてました。

何を思おうと、キキが戻ってくるわけではないのですが・・・

そう思えばというのは、こういう「別れ」がないと、気づかないものかもしれませんが、6月のお誕生日以降、前よりペタペタと甘えてくることが増え、私に対しては、オシリフリフリや、カチカチは極端にへり、とにかく貢ぐためのエグエグに特化した動きになっていて・・・

それ自体、それまでのキキからみると「変化」なんですよね。


以前、コザクラ飼いの方と話してたときに「いやあ、こんなに仲良くなるには時間がかかった」という人が多く、その多くが、噛まれたり、くっついたり少し間があいたり、発情とつきあったり、卵と格闘したりで、5歳、6歳くらいから、ようやく「今みたいに付き合えるようになったのだ」という声を何度も耳にしました。

私は、コザクラはルチしか知らないし、ルチの場合、それ以前から毛引きがあったので、単純に時期が同じとは思えませんが、確かに、そういう面があるのかなと、常々思うところがあったので・・

(もちろん、5、6歳になって、突然仲良くなるわけではなく、それまでの下地が「関係として思える」程度になるのに、他の種よりも、時間がかかる気がする、という感覚なのだと思います)


キキは、小さい時、病気もあって、当初の数ヶ月、ベタベタなスキンシップができないまま大きくなり、そして、テテのあとをくっついて、その合間をぬって、私ともベタベタするようにして、という展開でココまでやってきていたので・・・

テテがいなくなって、引越しもして、ようやく今の生活にも慣れてきてという意味では、今からという気持ちが、私の中で大きくて・・・

ようやく、ここまで仲良くなれてきたんだと、ツーカーというか、そういうつながりを感じられることも増えてきてたので、これからもっと仲良くなることを楽しみにしてたので・・・

余計に「ショック」が大きすぎて、気付いてあげられなかったことについて、あれこれ考えてしまうのかもしれません。

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話が、だいぶ脱線しましたが・・・

こうしておけばよかったと、どんなに打ち消しても、どんどんわいてくるのはとめようがありませんが、何をしてても「そこにキキがいたら」と、何度も思ってしまうのも、それだけ、キキの存在が大きかったのだと、改めて知らされることになるばかりですが・・・

キキの最期をみとって、その前日、その前々日と、記憶をたどっていくと、こうなることを知っていたかどうかは、分からないけど・・・

その時間の中で、めいっぱい、私にスキスキをし、目をみつめ、甘え、鳴いてくれたこと、こんなにお世話係り冥利につきることはないなと、強くそう思っています。

こんなに愛情深く、私のことを思ってもらえて、なんて幸せだったんだろうと、思います。ありがとう、大好きだよ、と、ただただそう思っています。

そんなに大きい存在のキキがいなくなって、すぐ、いない生活が普通に思える必要なんてないです。キキにただいまっていえない家に帰るのがイヤだと思うのも事実なので、それはそれで受け止めるしかないです。つい、「キキ、ただいま」って言ってしまって、分かってるのに、いないゲージをみてしまうのも、全部仕方がないことなんだと思います。

キキがみたら「何してるっぴ?」って、笑っているかもしれませんが・・

また、いつか会えたらいいなと思ってます。
キキだって、分かる自信はあるつもりだけど・・・
キキは、気付いてくれるんだろうか?(笑)

やっぱり、ついつい長く書いてしまいましたが・・・

最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

時計を戻せるなら、いろいろやっておきたかったことがたくさんあるのですが、みなさまのインコちゃん等が、発する、いろんなメッセージが、お世話係りさんにうまく届いて、そして、もっと大切な時間を少しでも長く共有できますよう

季節がいいときは、おでかけもいきました。
家の中も、いろいろ物色してもらいました(探検業といってました)
 

当たり前の日常の風景に思えてたすべてが、本当にいとおしいです。

2012年7月20日金曜日

キキ、ルチとテテの間に眠る

終業式で早く帰ってきたKちゃんがお昼を食べるのを待ってから、キキのことを話し、キキの棺に花を入れ、それから二人して、ルチとテテの眠るお墓の間に、キキのための穴を掘りました。

テテが眠りについて、一年半弱。

つい先日、テテが天国のメンバーになったばかりのような気がしてたのに。

テテを埋葬するとき、まだずっとキキはこないから、ルチに、テテと二人で仲良くしてねと話ししていたのに。


Kちゃんは、思ったより、今回のことの意味を理解できている感じがしました。

しばらく前にも、伯父がなくなったりで、天国へ行くという話を、彼女なりに理解しようとしてたからということもあるでしょうが、一緒に暮らしてたキキがいなくなるというほうが、余計に理解しづらかったようで(しかも、元気一杯のキキと離れ、一泊したら、キキが突然なくなったという展開だったし)・・

「キキちゃんは、天国へいったんだよね」「もう、お話できないの?」
「飛べないの?」「○○(うちのマンションの名前)にも、いないんだよね」と
亡骸を前に、あれこれ、何度も聞いてました。

「ママ、大丈夫よ」と言ってみせたり、キキの頭をなでなでして「キキちゃん
かわいいね」と言ったり、大人みたくわかってるようでもありますが

「また、新しいキキちゃんが来るから大丈夫よ」と言ったりしたので・・
(たぶん、ママを元気付けたいというだけだとは思いますが)

もし、インコちゃんが家に来ることがあっても、それはキキちゃんではないこと。
キキちゃんとは、もう、遊べないんだよ、と改めて話しました。

「新しい・・」なんて、伯父や知り合いがなくなったときにはいわなかったので
言われて、こちらもびっくりしましたが、代わりのいない存在ということに
ついても、彼女なりに、わかってくれるようになってくれればいいのかな

とも思っているところです。

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今日は、仕事が休みで、わかったかのように、あいてました。

夫も、朝、今日だけは、ゆっくりでることができました。

何か、そう思ってしまうと、わかってたかのように、この日を選んだのかなと
いうような、偶然が重なって、しまった気すらするのですが・・・

まだまだ、話し足りなかったなあと

この気持ちをどこにもっていけばいいのか、キキにも聞いてみたいです。


あまりに急ぎ足でいかれて本当に困ってます。

キキにも言い分がいろいろあるとは思いますが・・。


いろんなことを考えてしまって、ふと気付いたら、もう18年近く「インコと暮らす生活」をしてきてて、ルチ、テテ、キキに恵まれて、そして、ここにいたってました。ルチのときは、テテとキキにどれだけ助けられたか分かりませんし、テテの時は、キキがいるからと気持ちを切り替えることができていたかもしれません。

一緒に暮らしてると、それが「当たり前」になってしまって、エグエグしてからだのバランスを崩してしまうことも、暑さに強く、キキにとってそれは大丈夫な温度だと、暑さに関して、私の感覚もやや麻痺してしまってたことも・・・

今となっては、いくらおもっても、時計の針は戻せませんが・・

あまりに駆け足になってしまったような気がしてならない、キキの旅立ちに、気持ちの折り合いをつけるところがみつからず、戸惑いが強すぎるのですが・・・

キキが、私を選んでくれたこと、めいっぱいキキなりの方法で、私やKちゃん、夫に対して、愛情をそそいでくれたことについて、心からありがとうを言いたいと思っているところです。

反省

のかるてにも書いたように、キキの突然の旅立ちに、戸惑いや後悔で頭がパンクしそうになってるのですが、そんな話なんてなかったかのように、ニコニコした顔でこっちをみたまま眠ってるようなキキをみていると、何だか不思議な気持ちになります。

 何が原因かって、突き詰めたくなりますが、結局のところは、「らしい」という推定しかできないかもしれません。
ただ、今年の暑さ、特に湿度は尋常でなく、家を引っ越したということもあったので、「例年通り」の温度管理では、不十分だったのかもしれないと、とても反省しています。

もちろん、原因がそこだったかは分からないのですが・・・

キキも、昨年よりは年齢を重ねてるわけですし、梅雨が長引けば、エグエグの時期も長引くので、体調も幾分昨年よりも悪かったのかもしれません。

 前の家より、すずめちゃんなどのお友達がよく来てくれるようになったので、一羽で過ごす二回目の夏ではあったものの、何とかなるだろうと、侮りすぎていたのかもしれませんが・・・

小さい時に、気管支系の病気でかなり病院のお世話になり(コザクラには多い疾患の一つですが)、その後は、エグエグが激しすぎていろいろ心配はつきませんでしたが、基本的に「健康チェック」にかかるような症状も数値もなく、穏やかに時を過ごしてきたので、キキがこんなふうに、駆け足でいってしまうなんて想像もしてなかったというのもあったような気がします。

 ・・・あきらかに、私のお世話ミスだと思います。

キキに申しわけなく、ほんとに、反省という以上に、
猛省するしかなく、ただただ涙がとまらなくなります。

朝、キキを抱っこしてる途中、少しの間、夫にキキを抱っこしてもらおうと思ったら、激しく抵抗。そんな状態でも、ママ、ママって、体が動かなくなってる状態でも、私にむかって飛んでこようとし、私がだっこするとすごくうれしそうな顔をする、キキをみてると・・

十分にお世話してあげられなかったと悔いてばかりいる私ですが、そんな私でも疑いもせずというか、絶対の存在と思ってくれてるというか、迷いなく「ママ」って思ってもらえるなんて、私はとても幸せものです。 ほんとうに、ありがとう。


もっともっと、あれこれしてあげたかったなあ。

 Kちゃんと、愉しそうに遊ぶ写真も、撮りたいと思ってたし(本当に、お二方の目線が物語ってるというか、いい構図だったので、是非撮りたいと思ってました)・・・

キキの動画も、ビデオも、もっと「キキらしさ」が出てる分を残しておきたいと、そんなことを思っていた矢先の出来事でした。

いつも、ものごとはそういうところがあるかもしれませんが・・・

そう思うときに、そうやっておけば、いくらか後悔も減らせたかもしれないのですが・・。

あの、表情を、残しておきたかった。

そして、Kちゃんにも、こんなに大事な時間を過ごせていたんだよって、写真をみながら話してあげたかった、などと思ってしまいます。

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 半年くらい前から、いろいろな「別れ」について思う事が多くて、誰かと別れるたびに、あれこれ思うわけですが、キキは、元気でいてくれてありがとうと思いつつも、まだまだ別れるかもしれないなんて思うこともなかったのですが

(全くではないですが、まだずっと先だと思ってました)・・

 人もそう、いつ、いろんな形の別れがくるかなんて、誰にも分からないんだなと、改めてそう思ったりしています。

毎日、毎時、そう考えて生きていくなんて、できっこないかもしれませんが・・・

もっとしておけばよかったと、いくら思っても時は戻らないから。


 最近、神社とかにいくと、前みたいに「○○しますように」と、自分勝手なお願いばかりをするのではなく「家族みんなが元気でいられますように」と、自然にそう思うようになっていました。

自分の願いなんて家族の二の次でしかないことを、日々思えるようになってきたからということもありますし・・・

 家族がいるから、そして、元気で健康だから、こうしたいという方向へ動いていけるんだなと、Kちゃんをみて、キキをみて、そう感じていたからです。


キキは、めったに一緒に参拝できなかったので(キャリーで何度か行ってますが)・・ 行く時は、キキの分まで、お賽銭を入れて、しっかりお願いしていたのですが・・・

 さてさて、どうしてかな。

たぶん、見た目にも、直接的にも、悲しくてしかたないのは事実ですが、何かキキなりに考えがあって予定より早く旅立ったのだとしたら、キキが天国で愉しく過ごせるよう、ただ、願うしかないかもしれません。


 今日は、終業式なので、Kちゃんが早く帰ってきます。

先日も、親しい方のお葬式に連れて行った際、彼女なりに「天国へいくこと」について考えていたようですが、まさか、お年寄りにもみえなかった、キキちゃんに、それが訪れたことに対して、理解できるかどうか、話してわかってもらえるかどうか、自信がありませんが・・

 (天国に行くのは、年齢をとったからだと思ってるような気がします)

Kちゃんは、キキちゃんが年上だと幾ら説明しても「Kちゃんおねえちゃんがね」と、おねえさんぶって話をしてたので、ますます、混乱してしまうかもしれませんが・・

心を落ち着けて、キキとの最期の時間を、大切に過ごしたいものだと思います。

 また、暑くなりそうです。

2012年7月18日水曜日

梅雨の合間をぬって・・・

ちょこちょこでかけています。 最近は、佐賀市内にある、えびすさんを巡るミニ旅をしたり・・・

(えびすさんの話は、またべつの機会に・・)

 おいしい水を求めて、そう遠くないところまで、ウロウロしたり・・・。

地味にですが、梅雨の合間をぬって、ちょこちょこおでかけしています。

Kちゃんも、もう、すっかり「おねえさん」っぽくなってきた気もしますしむずかしいこと聞かれたりすることも、ますます増えてきましたが・・


↓走るのも、すっかり速くなってきました。
 

まだまだ、3歳。 つじつまのあわないことを得意そうに話をしてるのをみると、やっぱりかわいいなあ、など親馬鹿にひたったりしています(笑)

 最近、ひらがなを少し読めるようになってきたので、看板をはじめ、お店に行ったり、新聞や本で自分が知ってる文字をみると、「コレはKちゃんの○だね」など、うるさいくらい、アナウンスしています^^;;

言葉にしてみると「か」と「が」、「は」と「ば」も普通に話せてるんだけど、何でそうなのかと聞かれると分かるように説明するのは難しいなと思うこともあるし・・

 橋と箸、紙と神、そして髪など、その手の言葉も、使えてるクセに、改めて「一緒なんだね」と言われる不思議な気もしますしね。


雨が続くと、外出も大変なので、おうちで過ごすことも多く、親としてはネタが不足しがちで大変な時期でもありますが、最近のブームは、粘土から折り紙へ移行。

折り紙って、どこでも、折れるし、ほんと重宝してます。

 折り紙のことは、また、いつぞや書くかもしれませんが・・・

折り紙自体も、ほんと、いろんな種類が出てるし、最近の折り紙事情はすごくて、動物から鳥まで折れてしまったりします(あ、すいかも、あやめも、バラも折れるらしい・・)

夫のスマホには、折り紙のブックマークがいっぱい(笑)

・・・ちなみに、私は、折り紙できないことになってますので、折り紙の先生役はすべて夫に一任。

パパ!がんばれ~!!!

娘の中では「パパは、折り紙できてすごくかっこいい」ってことになってます。
よしよし。 パパの地位向上にも一役買っている、おりがみブームです^^

2012年7月2日月曜日

自転車にリトライ

大変恥ずかしい話だけれど、ここかなりの間、自転車とは縁遠く過ごしてきました。

大学時代、マウンテンバイクを買って、少し乗って以来、極力距離をおいてきて、ここ数年、思い出したように「乗る機会」があって、ちょこっと乗ることはあったけど、自発的ではなく・・・
(他に手段がなく、ちょこっとだけ乗るとか、誘われて電動自転車に数時間とか)

よくよく考えてみると「運動好き」ではない性分が災いしてたのかもしれないけど、自転車国佐賀に住みながら、よくもここまで自転車に乗らず過ごしてきたねというほうが、かえって、すごいことだったもかもしれません(笑)

(自転車国でもあるけど、自動車国でもありますが・・)

運動そのものが好きではないけど、歩くのは好きで、ぼちぼち歩いてるきたけど、自転車に乗っててぶつかられたり、転んだり、いろいろ珍事を経験してきたこと、そして、道路改正法もあったので「法的にはココが正しいのは分かってるけど、実際は、そこを通るとすごく運転しにくい」箇所が多すぎるのがわかって、なおさら、縁遠くなる一方だったのですが・・・

最近、ちょっとだけ、運動めいてまして(余計に歩くとか、その程度ですが)、何だか、ここまでくると「自転車も乗れそうだ」という気になってきて、とうとう、自転車を購入しちゃいました。

いざ、走ろう!って自転車ではなく、ママチャリ、ですけど^^

もう、いいかなと思ってましたが、一向に、三輪車つき自転車が上手にならないKちゃんをみて、「後ろに乗っけてでも良いので、自転車は愉しい」と身をもって教えたほうがいいんじゃないかというのが1点目、そして、風を切るというのは自転車にせよ、走るにせよ、心地いいんだよと知ってもらえたらというのが2点目、そして、エコなこと、そしてそして車では行きづらいところへ親子で自転車で行ってみようかなと思うようになったこと(いま、恵比寿さんめぐりをしています。その話は、いずれまた)、などなどからです。

(こども用ヘルメットを、自転車から降りた後持ち運びするのは、やや面倒ですし、どうしてママはかぶってないのか?ときっと言われるとは思うけど、我慢してかぶってもらおうと思ってます)

もちろん、私の通勤にもつかえたらいいなという希望もあります。
雨は、暑さとの、調整になりますが、それも近いうちに実現できたらと思ってます。
こっちの動機については、やや消極的かもしれませんが・・・

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高校時代まで、自転車を愛用してましたが、先に書いたように、事故もですが、自転車を盗まれたり、あんまり「いい思い」をすることより、仕方なさが先行してたところはありますが・・

一日、一万歩歩こうと決めてから、やや体力がついてきたのか、前みたいに自転車をこいでてもきつくないし、何となくフットワーク軽くなってきたし、いいことづくめ。

思い出したように、数年に一度は、こういう「歩き熱」にかかるのだけど、これを「自転車に乗る」という方向に転換することがあるなんて、人生分からないものだと思います(大げさですね、すいません)

知らない路地に、ふらふらっと迷い込む楽しさって、自転車ならではで、あれ、ここにこんなものあったっけ?って、知り尽くしているはずの市内ですら、いろいろあることに改めてびっくり。

あつーくなってしまうと、走るだけで、歩くだけで、ミイラになりかねない九州の夏ですが・・ほどよく運動(というか、歩きですが)も続けていけたらいいなあって思ってます。

今年の課題は、筋力つけて、だな(笑)

ほどよくがんばります。